仕事について

はじめに

仕事について考えていると憂鬱になってくる。

仕事はつまらなく、淡々と

ときどき、TLで目撃するこのフレーズを「毎日が冒険、苦難と挑戦の連続! というような仕事をすべきでない」ということだと、私は解釈している。
実現可能性の高い計画を立て、リスクを管理して、ただ手を動かすことで、要求を満足する成果物を作り上げる。これが理想だ。
開発者が「楽しんで」、管理されていないむき出しのリスクと対峙すること、プランBのない背水の陣、連日の残業でどうにか炎上を鎮火し、リリースにこぎつける。そんなプロダクトは、ユーザにとっては何もうれしさがない。ただ、自己満足、プロジェクトマネジメントの失敗によるリスク、品質低下を背負わされているだけだ。
マスプロダクトにかかわるなら、上述の内容から逃れることはできないだろう。あえて言えば、ワンオフ、テイラーメイド、あるいはベンチャー。そういった、クライアントとリスクを共有できるような仕事は、その例外になるのかもしれない。

好きなことで生きていく?

興味を惹かれるような業務に手を挙げるべきか。
微妙なのではないかと考える。
面白そうなことでも、それが業務になると、いろいろなしがらみ、制約が発生する。思い入れがあり、自分で思うとおりに進めたくて、かつ自分でその環境を用意できるのであれば、仕事でなく趣味として取り組む方がよいだろう。
好きなことをして働ける、なんてことには(九割の人間は)ならないと考えなければならない。凡人にとって、仕事とは苦役を売って賃金を得る契約なのだ。
好きなことで生きていくというのは、やりがい搾取のための甘言に過ぎない。覚悟のない人間、恵まれた才能をすべて能力獲得に投じ、自己資本を投じ、身を粉にして動き続けることのない人間には、それが与えられることはあり得ないのだから。
好きなことで生きていくというのは九割の人間にとって単なる空手形に過ぎない。憂鬱でなければ、仕事じゃないって言うしさ。

とまで考えたところで、これは酸っぱい葡萄に過ぎないのだろうか、という疑念が脳裏をよぎった。

無人化すべきである

問題の解決には方策があらかじめ用意されていて、たとえばフローチャート、if-thenのような形、ルールベースで、とるべき対処が計画されていることが望ましい。それがプロジェクトマネジメントだ。
管理されていない生のリスクは、面白い仕事かもしれないが、プロジェクトとしてみれば、排除するべき存在だ。その楽しみは到底割に合わない。
こうしてみると、プロジェクトの遂行に、人間が介在することは本来的に不要だし、むしろリスクでさえある。が、現時点では無人化できるだけの技術や体制が整っていないから、仕方なく人間がやっている。
先行きの見えないプロジェクト、プランBのないプロジェクトは、マネジメントが欠如している。ロードマップを描き、リスクを管理しながら、予定通り、計画通りに、プロジェクトを終了することが、一番良いのだ。

おわりに

無人化できないがために生きて労働している人間の存在にどれだけの意味や価値や理由があるのでしょうね。