I just don't know anymore

かつてブログやテキストサイトをやっていた人々のことを尊敬する。全く読まれないし反応もないものね。まだなろうやカクヨムで底辺小説やってる方が気分が楽。

がんばってる奴と
がんばりたい奴と
がんばれない奴

3番目の
クソ野郎はせめて
はじめの2つを
助けてやらねぇと
って思った

いるんだよ
夜凪
世の中には

もう
どうしようもなく
がんばれねぇ
クソ野郎が

『アクタージュ act-age (7)』

私の短くない人生の中で何回も何回も繰り返した失敗なのでこれは確実な真実なのだが、私は出来る人、生産的な人、創造的な人間ではない上に、それらに該当する人の邪魔をすることしかできない。彼らの時間を無限に消費して、有意義な活動をする余地を奪う。 邪魔をするだけなら近づかず、支援するにしても直接の接触をせずに資金面などでサポートするのみにとどめればいいのだが、当の本人はそういった人々に惹かれて近づいていってしまうのでよりいっそうたちが悪い。 組織論で言うと、この問題に対する答えは明確に出ている。そもそも最初からそういう人物をチームに入れないことだ。間違って負の能力を持った人間をチームに組み込んでしまうことは、何よりあってはならない失敗である。故にあらゆる組織はその採用に細心の注意を払う。 そして、そういったtraitを持った人物のことをわざわざ欲する組織が存在するとは考えられない。 似たような言及をされる存在にいわゆる「メンヘラ」がある。インターネットをしていれば「メンヘラに出会ったら逃げろ。関わるな。奴らは関わった人間を全員不幸にする。自分を守れ」あたりの言葉を聞いたことくらいあるだろう。 私は心理学や精神医学について何もしらないけど、多分こういった症状って何らかのつながりがあるんじゃないかって想像している。勝手に思ってるだけで間違ってるかもしれないけど別に本論にはあんまり影響はない。 まあ、なんにせよ、自分が好ましく思っている相手から疎まれることが続く人生というのはつらい。

さて、そういった人々が「適切」に扱われたとして、彼らの苦しみとは、妥当で、仕方のない、自業自得的なものなのだろうか。まあそうかもしれない。 でも、それで彼ら自身でさえも苦しんでいるのであれば、彼ら自身が生きていることは、悲劇そのものだ。他人を不幸にし、自らをも不幸にし、何も生み出さず、誰も幸せになれない。 彼らが生きていたいと願っているならば、多数派の言う事で一人の命を左右してしまうことになるので、これはよくない。 でも、当人ですら生きていたくないのであれば、彼らに安らかな眠りを与える、というオプションを提供するべきなのでないか。

たしかに、福祉が整った社会が出来上がれば、仮に雇われず、誰とも交流せずとも、生存を続けることができるのかもしれない。 でも、そんな「二級市民」の暮らししかできない状況で、みんなが幸福でいられるだなんて、本気で信じられるだろうか。 他人に迷惑をかけてもいいのかもしれない。でも、誰かに嫌な顔をされたままで生きているほどの執着もない。どのみち何もできない人生なのだ(高齢になってから何かを始め、成し遂げられる人は本当にすごいが、なぜそんな凄い人物だと自分自身をとらえられるのだろうか。また、たとえすごいことがなされなくても、いつか誰かが同じことをしてくれるだろう。人間の発想力は有限なのだから)。 向いてない幸せなら諦めればいい。自分を不幸にする思想であれば構わず投げ捨ててしまえばいい、大学進学や就職や結婚だけが幸せじゃない。要するにそれは「お前には向いてないから諦めろ」という宣言に他ならない。たとえそれがどんなに妥当で正しい助言だったとしても、それに従った方が幸せになれるとわかっていたとしても、そんな風に諦めがよく、叶わない欲望を抱かず、抱いてもすぐに投げ捨てられるような賢い人々であったなら、こんなに苦しんだりはしないだろう。 そもそも、人は「再分配」できないって、みんなが言っていることじゃないか。

現状では、苦痛と恐怖と失敗したときの後遺症リスクと周囲への被害リスクを負担して自殺するか、あるいはそれができない有害な弱虫として他人に迷惑をかけ足を引っ張り疎まれ非難され嘲笑され苦しみながら生きる(もちろんそんな中で生きることを選ぶことも可能だ。たとえモンスターと言われようとも、生き残ることは生物として正しい(自然に訴える論証))かの二つに一つだ。直接的に非難されるかどうかはともかく、どちらを選んでも苦しい生活が待っている。 でも、この苦しさまで自業自得なのか? せめて、そこから抜け出すための手段くらい、整備してほしい、許されていてほしい。大したコストはかからないだろう(少なくとも私たちが生き延びてしまった時よりは)。有害な人物が自ら望んで居なくなれば、本人は苦痛から解放され、周囲はその人物からもたらされる被害から抜け出すことができる。まさに願ったりかなったりだ。

人は変わらない、学ばない。であるならば、安らかにそれを終える選択肢くらい、許してくれたっていいだろう。

楽になりたい。