March of the Irrational

An organization is not a tree

私が関わる実用的な人々は「計画や企画を立てるのを待ってたらいつまでたっても物事が進まない」という言葉をよく口にする。この言葉を聞いて思うのは、あるプロジェクトを合理的な説明による同意ベースで推進することは実質的に不可能なのではないか、ということだ。
あるプロジェクトを立ち上げるにあたって、その動機や目的があいまいなまま開始しようとする。だから、他者に説明して、同意を得て、その上で協力して動いてもらう、ということが不得意。あるいは、そもそも説得することに対して、コストをかけたがらない。

それに加えて、組織の構造として 現場力 が強い。 現場力 の強さは、自律的な動きを実現すると同時に、指揮系統をかく乱する。
そのような組織は、指揮系統、権限、責任のあいまいさがゆえに、自分の組織の内側で、自ら裁量を持って、ミクロなプロセスを改善することができる。しかし、その反対側には、上の言うことを聞かない、聞かせるのがへたくそ、強制する仕組みがないという特性がある。それゆえに、マクロなプロセスを、中央集権的に変化させること、全体最適をはかることが難しい。どこまでも自律分散的だ。自分で責任を背負いたくない。他者のことを考えたくない。自分の思い通りにしたい。我が強く、統率しづらい。
だからある部門が、プロジェクトに対して同意をしないことで、物事の全体を停滞させることができる。その権力が存在してしまう。さらに悪いことに、それをやめさせる権力をもった統括する存在もない。
都市がツリーでないのと同じように、組織もまたツリーではないのだ。

一方で、「もう動き始めてしまったことだから」や「約束してしまったお客様に迷惑がかかるから」という理由は、何よりも強い。たとえそれが不利益で不合理であっても、物事を進めざるを得なくなるパワーがある。黙って内々で勝手に物事を始めて、もう引き返せないというところまで進めてしまうことで、事態をコントロールする。このようなハックが多用されるのは必然とも言えよう。
もちろん、それは悪いことばかりではないだろう。スティーブ・ジョブズや、社内ベンチャー的な案件にはこういう事例が多くありそうだ。
ただ、説得することの下手さと、説得されることの下手さは、確かにある。そのために、物事はなし崩しで進めざるを得ず、最初から不利な状況でマネジメントを行わねばならず、当然うまく機能しない。そのような構造が温存されがち、ということは言えるのではないだろうか。

An Organization must be a tree.

そもそも、冒頭の主張は本当に妥当なのだろうか? 世の中のうまくいっているマネジメントは、本当に同意ベースで動いているのか? トップダウンの命令系統が構築されているからうまくいっているのでは?

例えば、新しいPCを導入しようとするときに、低スペックなものが選ばれたとする。
「PCのスペックを上げたところで、そのベネフィットは上昇するコストより小さい」
この理由で現場を説得できるか。感情の問題で困難だろう。
「PCのスペックを下げることで、これだけの心理的負荷が生じる」
この理由で管理側を説得できるか。影響の定量化のやり方について合意形成できない、前提すら共有できないまま終わるだろう。これだけのタイムロスになる、と言っても、間接部門なのだからそれは収益改善につながらない。ゆえにベネフィットはない、という反論がなされてしまえばおしまいだ。

各個人、各立場で 合理性 は異なるのだから、そもそも合理的な説明による説得、同意などあり得ない。だから、権限に基づく強制でしか物事は進められない。こういう考え方はあり得るだろう。
縦割り組織が問題だというクリシェについても、本当の問題は各組織が明確な指揮系統になっていないことだ、と考えることもできる。上位の存在が判断し裁定すれば、その決定こそが真なのだから、あいまいさは残りえない。

Afterwords

相変わらずどっちつかずで結論がない文書です。私には論理だった構成の文書を書くだけの知性がない。