優れた性質の源泉

世界ではじめて音速を超えて飛んだChuck Yeager准将は、飛行機のエンジンを次のように誉めていました。「単純で、部品が少なく、保守がしやすく、とても強固」と。

ジョン・ベントリー, 小林健一郎. 珠玉のプログラミング 本質を見抜いたアルゴリズムとデータ構造. ピアソンエデュケーション, 2000.

個人的によいと感じるものの性質

  • Simple

    構成や機能が単純であること

  • Small

    サイズ、規模、構成要素数が小さい、少ないこと

  • Robust

    外乱への頑健さ、適用範囲の広さ、壊れにくさ

  • Maintainable

    保守、修理のしやすさ、維持コストの低さ

  • Tractable

    扱いやすさ、操作のしやすさ、素直な応答、理解しやすさ

e.g.

以下の例に上記の性質がすべて当てはまるわけでもないし、単なる妄想も多分に含んでいる。

  • Douglas A-4 Skyhawk

    サイズ、重量、複雑性を最小化したデザインを追求。頑丈で運動性能がよく、クラスを越えた兵装搭載量、戦闘機にも匹敵する運動性能、高い整備性を兼ね備える攻撃機に。

  • Seiko 5

    自動巻き専用(手巻き機構がない)やハック機構(龍頭を引くと秒針が止まる)の省略など廉価版らしい設計だが、結果的に複雑性、構造にかかる負荷を抑制している。実用性に徹した設計の腕時計。

  • RICOH Ricohflex

    二眼レフの中では珍しい、二つのレンズをギヤを介して連結し、ヘリコイドを用いてピント調節する単純な構造。コストダウンを追求した設計であるが、副次的に堅牢な設計になった。

  • Fiat Panda 1st Gen

    平面ガラスで構成されながらも簡潔で美しいデザイン。スペースユーティリティに優れる。

  • LTV A-7 Corsair II

    ベースとなったF-8 Crusaderの設計を単純化した攻撃機。派生機として短期間で開発された。整備性がよい。

  • Daihatsu Mira TOCOT

    同社のベストセラーであるミライースをベースにした軽自動車。メッキによる装飾の排除、垂直に立てた大きい窓、利便性よりホールド性を重視した独立式の前席、ユーザの修理代を考えてドアミラーにターンライトをつけないなど、一貫して運転しやすさを追求したデザイン。

  • Toyota Sports 800

    パブリカをベースにしたスポーツカー。部品を多く流用し、エンジンも特段パワフルではないものの、空力の良さなど優れた設計により高いパフォーマンスを発揮した、らしい。

こうしてみるとハイエンドよりもベーシックなものに宿りやすい性質なのかもしれない。

高性能ではないけれど、しみじみとこのくらいの性能で十分なんだよなと思わせるようなキャラクタをもったもの。過敏というよりは穏やかで、ロバストで、フラット。緩すぎる不安感は与えない。触れていて妙に楽しい。派生製品として開発するなどしてコストを抑える。特定の目的や思想を実現するための一貫したデザインができている。

その他デザインに関する雑多な思考

シンプルさを追求するだけではバランスが悪い

シンプルさのためには時に大胆な省略の仕方を要することがある。たとえば、上で挙げたA-4やSEIKO 5のような。このようなデザイン上の決定は、ハマれば美しい。けど、その一方で、互換性のなさ、独自性の強さなどの弊害が現れることもある。独自性が強すぎると専用設計が増える。そしてそれはMaintainableやTractableな性質を失わせる。これに対抗する手法の一つは、すでに信頼性の証明されている設計やパーツを流用することだろう。コストや開発工程を抑えつつ、信頼性を担保する。

シンプルさと整備性のよさ、または機能の観点でバランスを取ることは、優れたアーキテクトの成せる業だ。設計を貫く思想こそがすべてで、最初から企画を徹底的に練ることがとても重要だということ。説得力、一貫性、どういう体験をユーザへ提供したいのか。大胆な省略による優位性、あるいは感動を、どうやって生み出すのか。そういった事項を徹底的に考え抜く思考能力が、アーキテクトには求められる。

汎用品の組み合わせから統合された専用設計へと移行することの是非

例えば、PCはユーザ交換可能なパーツが減っている。すべてが小型で少数の基板へと実装されるようになった。MacbookのシステムボードはiPadのそれとほとんどサイズが変わらない。

統合した設計とする利点は多い。シグナルインテグリティの良さは動作速度が速くなればなるほど効いてくる。部品の実装を極力リフロー工程で済ませることができれば、必要な人手が減り、無人化できる。そしてそれは品質やコスト、製造時間に直結する。モジュール設計はよくも悪くも共通規格に支配されてしまうので、それをやめればサイズ、重量などで優位な設計ができる。そもそも、ユーザにモジュール単位でアップグレード・修理できるようにしても、メーカはたいして嬉しくない。などなど。

その一方で、ユーザは自分でアップグレードや修理をしたい。ユーザ側の、少なくともある種のコストを削減できるし、なによりシステムに対するコントロールを保っていたい、囲い込まれたくない、という気持ちがあるのだと思う。

ここで考えなければならないのは、ある製品を利用しているとき、どこにどういう価値が生じているのか、ということだ。かつてPCはそのハードウェア自体に価値があった。スタンドアローンであっても、計算機それ自身を利用できることに、価値の源泉があった。ところが今はそうとも言い切れない。インターネットに、ウェブ上で提供されるサービスにアクセスできなければ、その価値は半減以下となるだろう。つまり、価値の源泉はデヴァイスそれ自身から、デヴァイスを通じてアクセスするサービスの体験へと、移行した。

デヴァイスそれ自身に価値がないなら、使い捨てにしたって構わない。それでコストが抑えられるなら特に。アップグレードや修理をすることで延命するコスト削減より、保守性を無視することによるイニシャルコスト削減の方が効くという事態はありうる。特に量産のスケールが大きい場合には。

と、いうわけで、専用設計とは、きわめて合理的で、かつWin-Winに見えるデザイン上の決定なのだ。それを好ましく思えないのは、個人的な感傷というか、コントロールを保ちたい、という気持ちによるものなのでしょう。

素性の良さとニーズとが相反するとき

何かを作るとき、最初の土台を作るときには、原理原則に適った、素性のよいものがいい。昨今のプラットフォーム共通化の流れからすればこれは余計に効いてくる。

でも、そうして作り上げたものが売れなければ、それは単なる自己満足にすぎない。素性の良さは、必ずしもユーザの価値につながらない。では、提供したい価値、企画上在るべき姿が技術的な観点と相反するとき、どうバランスを取っていくべきなのか。素性の良さとは「すごいものを作れば万事解決(ただしどうやればいいかはわかってない)(方法はお前が考えろ)」をいい感じに換言しているだけなのではないのか。

あるいは、ややトピックから外れるけど、組織論として、みんな「口に出しては言わないけど、こうすればいいのに」という思いを実は持っているものだ、という言葉を目にすることがある。でもこれって本当だろうか。ただ会社や上司に文句を言いたいだけなのでは、と。そして、もし持っていたとしても、みんなの「こうすればいい」は用意に相反する。

複雑な要求、こうありたい、という姿を高い水準でまとめあげるためには、結局、高い知性と深い思考を持つアーキテクトが必要となってしまうのではないか。戦略、方針、思想を決定する人間には替えが効かない、ということ。

おわりに

これも結局ものすごいアーキテクトがいてほしいですねという救世主待望論なのでは……?

Reference