文書をつくるという営みについて

Wordで文書を作ることの難しさを考えている。
正確に言うと上の文章は嘘だ。本当は、文章による情報蓄積をどのように行っていくべきなのか、それを考えた上で文書を管理する体系を構築することの難しさを考えている。

例えば、文書の中で強調したい部分があるとする。ふつう の人にとって、第一の手段は B ボタンをクリックする、またはC-bを押すことだろう。
でも、本来的には、標準の太字強調、あるいは、ユーザが作成した強調用のスタイルを適用するべきなのだ。
ある書体が太字やitalicに別のフォントを持っている時には、特に重要になる。
他にも、本文の書体を変更するときは、個別の選択範囲の書体設定を変更するのではなく、デザイン-フォントで文書が使用する書体を指定するほうがいい。
上二つの操作をすることで、後から強調の部分だけ書体やサイズを変えたいだとか、一括して本文書体を変更したいとか、そういうことが楽に行える。

ほかにもモダンなWordでは游ゴシック/游明朝がデフォルトになっているが、この設定だと行間が妙に広くなる。
これはページ設定の行数設定から算出される行送り [pt] におさまらないため、二行に渡って文字が配置されることによる。このことは表示-グリッド線を表示することで容易に理解できる。
インターネットでは段落設定から1ページの行数を指定時に文字を行グリッド線に合わせるのチェックを外すことが推奨されている。
しかしながら、使用する書体に合わせて、収められるだけの余白、行数を設定した文書を作成する、ということのほうが筋が通ると思う。

社内文書にテンプレートが用意されていて、ここにはどんな情報を記入するという形式が罫線やテキストボックス、あるいは表によって実現されているということはよくあるだろう。
こういったヘッダ部を罫線やテキストボックスで作ることはナンセンスだ。確かにレイアウトは固定されるが、その見た目を実現するために様々なものを犠牲にしている。
表を使えば、事態は多少はマシになるだろう。中に収める内容を変更したとしても、多少の柔軟性をもってWordが自動調整してくれる。
しかしながら、表は表だ。表は、見た目を実現するためのものではない。では、見た目はどうやって実現すればいい?
そもそも、枠で囲むとか、そういうテンプレートを作ることがナンセンスだ、そういう、本質的でないことをやめるのが大事だ、と考える。
表は、表だ。表としてあらわすことが適切な関係性だけ、表によって表現するべきだ。その罫線を今すぐやめろ。
それに加えて、ヘッダ部分はあくまでヘッダでしかないのだから、そこに自由度は必要ない。最初に表題とか、作成者とか、種類とか、日付とか、そういう情報をフォームに入力すれば、ヘッダ部分が生成される。そういうシステムを作ることが肝要だろう。

しかしながら、これらをある組織内のユーザ全員に徹底するというのは、求めるリテラシーが高すぎるだろう。私一人が主張してみたところで、単なる独善的なものに過ぎない。
人は意図を書くのではなく、望み通りの見た目を実現したいだけなのだから。
kaoriha.org
意図の記述を、予め用意した文書テンプレートの体系へあてはめ、見た目を実現する自動処理。この考えがもう間違っているということになる。 それに、時代は移り変わる。使用するアプリケーションも、そのバージョンも、あるいは文書に求められる情報も、変化し続ける。
その変化が生じる度に、システムを作り変える、 テンプレートを更新し続ける、古いバージョンを変換して維持する。
そんな悠長なことを、一体誰ができるというのだ。
問題解決に使えない、役に立たない、金を産まない 正しさ なんてクソくらえだ、という人は、特にマネジメントに多いだろう。彼らの責務からして、それは圧倒的に正しい。

現に、いまこの記事を書いているときにも悩みながら書いている。
htmlには<p>要素がある。その一方で、日本語には(少なくとも日本の国語教科書的には)“意味段落”と“形式段落”、二つの段落が存在している。English Writingにおけるparagraphに対応するのは“意味段落”の方だろう。
しかしながら、見た目の観点でいえば、原則として全ての“形式段落”に対して、先頭の字下げが行われる。
行頭の字下げは、見た目だ。見た目を実現するために、行頭へ全角スペースを追加するのはナンセンスだ。実際に<p>要素にはCSSを用いて自動でインデントさせることが可能だ。同等の操作がWordでも行える。
では<p>は“形式段落”に対応させるべきなのか。そうとも言い切れない。
paragraph、あるいは“意味段落”の間には空白を設けるものである。この見た目を実現するために、<p>、あるいはWordの段落に対しては、自動的に前後へ空白を追加する機能がある。
しかしながら、先ほど論じた通りに<p>-“形式段落”を対応させていると、この機能を活用できない。“形式段落”ごとに空白が生成されてしまう。できることといえば、空行を追加することで見た目を実現することだけ。
なんと、どちらにせよナンセンスが生じてしまった!
私自身としては、<p>は“意味段落”に対応するものとし、形式段落については改行(Markdownでは半角スペース二つ連続、WordではS-Enter)を使っている。普通のブログでは行頭の字下げを行わず、小説を書くときは正規表現を用いて一括で置換している。が、これは私がそうしているというだけであって、万能の解ではない。

そもそも、西欧言語、もっといえば英語にしか世界には存在しないと思っているような人々が作っているのだから当然だ、という態度も当然ありうる。
だが、地球上のすべての言語をカバーできるような文書構造体系、UnicodeのHTML/Word版というのは、果たして実現しうるものだろうか。
わからない。
何にもわからない。

ということを書店で見かけたこの本のタイトルをみて考えましたとさ(この本を読んだというわけではないです)。