Exposed

TLに流れてきた、胸の大きなドールに露出の多い衣類を着せた写真を見た時、「こんなことがあってはならない」という思いが奇妙な程強く生じた。
それは起こるべきではないし、また、起こってはならない。現実はそんな風にはできてないのだから、と。
R18のイラストレーションを見てもそんなことは思わないのに。
自分のこの感覚について、どう説明したものかと考えてみたけれど、どうやら共感性羞恥、たとえばラブコメを読んで「自分もこんな風になりたい」って思った時の自分を恥じる気持ちに近いことに気付いた。
気付いて、笑ってしまった。
まるで自分が同性愛者であることを周囲にひた隠しにしながら弾圧するようなことをいう権威主義者の保守派政治家のようだ。

人肌恋しい、という言葉にwrapされた性欲、有害さがある。 性的な視線を人へ向けること。欲望を達成するための手段、ものとして人をとらえること。これは明確な悪だ。
だから、都合のいいことを願ってはならない。
自制的、抑制的でなければならない。

男性中心の社会を作り、その価値観を内面化させ、人間扱いをせず、滑稽な格好をさせて道化の様に笑いの対象とする、性的に搾取する。
そのくせ、さも自分には何の罪もありませんよといった顔をして平気でいる。
女性を憎悪し、同時に女性を求め必要とするミソジニスト男性たち。
異常な環境や言論に身を置きすぎて感覚が麻痺してしまったか、あるいは自己の利益のためにわざとすっとぼけてみせることを繰り返す、幼児的な思考の、図体ばかり大きな人間。
そんな不誠実な存在でいるのは、何より恥ずべきことだ。
その恥ずべき男性の列に、私もいる。
ああ、この世にクソ野郎さえいなければ。この世界はもっとマシな場所だったのに。

それでも、世の中は少しずつ良くなってきている。
未婚率が上がっているということは、それだけ有害な男性の被害を受ける女性の数が減っているということだ。
女性は一人で、あるいは女性どうしで生活する方が幸せなのだから、これは改善だ。
男性という既得権益者はその特権を剥奪された。というか、搾取的な構造が是正されたのだ。本来、人間は再分配できないのだから。

そもそも、恋愛や結婚をしたところでそれは幸福そのものではないし、むしろスタート地点に立っただけのことでしかない。
でも、そのスタートラインに立てる人間は、きっと素晴らしい人々なのだと思う。
高い能力と優れた人格を有している。
家事も育児も適切に担当・遂行する。
パートナーと密なコミュニケーションを保つ。
独善的、自己中心的にならず、誠実に責任を果たす。

私はそうではなかった。
精神的にも、肉体的にも、人格も、外見も、能力も、生活能力も、もしかしたら遺伝的にも、劣った人間だ。
そんな人間が何かを望んだところで、それは全て高望みにすぎない。
そんな人間に何も与えられないことは、それはまったくもって、妥当なことだ。
何かが間違って誰かと出会えたとして、人の本質は変わらない。
変わることがないので、どんなに取り繕っても私はいつか必ずぼろを出す。

世の中には本質的に善良で正しい人々がいる。そうでないものもいる。
私は前者に憧れているだけの後者であって、その隔りが消えることは決してない。
どうやってもなにもうまくいかないことが、確定している。
ただ、それだけのこと、どっからどう見ても妥当な帰結だ。

重ね重ね、早く楽になりたいね。