都市と場所

誰にも届かない壁打ちしてる。

Imagination on cities

過去記事で上手く言及できなかったこと。

squeuei.hatenablog.com

都市に対する想像という観点で言うと、『天気の子』って結構不満があって、そもそも人口が保たれてるというとか経済が保たれてるというのからしてどうという話はあるんだけど、これを言ってしまうとエピローグができないからそこはさておく。

さて、3年後の東京は仮に█████していたとしてもああはならないでしょうという気持ちがあるんですよね。つまり、大型船が入港する外港をわざわざ同じ場所か、陸地と一緒にさらに内陸へ移動するなんてことはしないだろうし、水上交通といえば水上バスや! って思ったのかもしれないけど、それで行く先はどこ? って想像してしまう。沈んだ街へアクセスする理由はないはずだし、沈んだ反対側へ通勤するのにあの人の量を道路や鉄道なしでやれるとは考えにくい。そもそもその両端で街ができるくらい物資が届く様になっていないといけないわけだから、少なくとも東北側や東海側からは陸路でアクセスできるようになってる? ならば陸路でアクセスできる範囲に引っ越したりしない? まあしないのかも。どちらにせよ、もっと高速で安定した移動手段でないと、都市として保たない気がする。輸送力が違いすぎるし、人しか運べない。あ、もしかしてドローン輸送へ舵を切ったりするのかもしれないな。水と空の話なのだけど、あんまり空側のものって出てこないんですねこの作品。

海に沈んだ街というのはエモなんだけど、海水にさらされることが考えられていない建造物がどれだけ形を保っていられるかというのは、わからないなと思う。まあ3年で崩れることはないのかもしれない。ただ、すでに沈んだ部分にしろ、これから沈む部分にしろ、海底はかなり危険なことになってるんだろうなと思う。それこそ、航行をためらうレベルに。そういう観点で言うと、もっとメガフロート(これももう古い想像力でしかないだろうか)的な建造物が多用されていてもいいのかもしれないし、進学先だって海洋工学や土木工学の方面へ進むという選択肢でもありだったはずだ。はいふりじゃん。そういえばはいふりって分岐した歴史とか案外設定が凝ってて設定集とか読むと面白いんですよね。水上で暮らすことが当たり前になった人びとの生活を描いた、という観点で言うとコミカライズ、ノベライズ含めて追いかけると結構面白いです。いや、あれだけ船舶工学が発達してるのに空気を同じ流体力学の対象として扱えずに固定翼回転翼航空機が発達していないというのは結構無理がある設定だとは思いますが……。

防波堤? 大堤防? についても。うろおぼえなんだけど、川に対する大堤防を整備していたような気がするんだけど、大堤防って基本的には増水した川に対するものか、あるいは外洋から襲ってくる地震による津波から守るために作る、という印象がある(調べていない)。もう東京は海に沈んでるんだからいまさら大堤防を作ってもという気がするし(いや、仮の堤防があって、本当の万全に身を守るための堤防を建てているんだ、という解釈はありだろう)、そこらへんが専門家にどう映ったのかは気になる。逆に、外洋からの津波に対する備えがどうなっているのかも気になる。既存の堤防設備は海に沈んでいるんだろうし、すごく頑張っていない限り、津波に対して物凄く脆弱になっている気がする。3年で大堤防の整備、国家的一大プロジェクトになりうる。

そういえば新幹線も羽田も沈んでるんですね。まあ新幹線は始発が熱海くらいになってるのかもしれない。マジかよ激アツじゃん。羽田が使えなくなった以上は成田の強化が成されているか、調布の強化がされているか、横田や厚木という大アクロバットがあるのかもしれない。どちらにせよ滑走路は足りないので、周囲の土地買収を含めた一大プロジェクトが――いや待てよ。レインボーブリッジって橋の下は50m以上あるそうだから、下手したらいま挙げたのだいたい沈んでる恐れが……。そういえば出身地の設定に飛行機で到達できない場所、という縛りがあったのかもしれませんね。最後に空港が使えなくなるリスクがあるので。京浜工業地帯、京葉工業地域が沈んでるとなると、もちろん経済に対する影響はひどいことになってるんだろうけど、鉄鋼とか石油とかの供給能力も気になりますね。東京だけではない全世界的な経済的打撃がありそう(でもまあみんな転注したり国産化したりできるでしょう)。

ここらへんの想像力にもっと説得力を感じられたなら、もっと素直にこの作品のことを見られたのかもしれないと思った。

追記(2019-08-14)

『天気の子』の結末における(そして都市に関する)「大丈夫」への苛立ちがなんなのかについて、ずっと(断続的に)考えていたんだけど、これって要するに、

その「大丈夫」とは、東京に住み、東京のオフィス・店舗で働く人々の方だけを見た「大丈夫」でしかないし、なんならそれ以外の存在はたとえ東京都内に所在しても東京じゃないと思われている

ってところにあるのではないか、という仮説を思いついた。感情を説明するための後付けの論理でしかないけれども。

Anywheres and Somewheres

全然違う話。David Goodhart氏が提唱する概念に“Anywheres”と“Somewheres”というものがある。

www.bbc.com

www.theguardian.com

www.wsj.com

ざっくり言えば、どこでも生きられる人と、そうでもない人の話。

この概念を知った瞬間、かつての私はAnywheresになりたかったのだな、と思った。
まあ、もはや叶わぬ話なのですが。
私は馬鹿で愚かで無能で敗残兵で落伍者なので。