Weathering with You

 映画『天気の子』を見てきました。

 『天気の子』、私には乗り切れなかった話という感覚がめっちゃ強い。話の筋自体には大して文句がないんだけど、逆に大して思い入れもなく、故に本筋とは全く関係のない不満ばかり考えてしまう。
 ストーリーに関しては無限に話されていると思うので、あまり言及しません。なので妙な方向からの視点で話をします。それって、ただのいいがかりでは? でもボーイミーツガールに関して私が言えることは何一つないので……

 以下ネタバレ感想です。

 シビルエンジニアリングとか都市工学の人が見たら渋い顔するんじゃないかな、というのが、まず思ったことです。描きたいことのスコープの外だというのは理解するけど、それでも私は水害の話としては水害に対する認識が甘すぎると思ってしまう。
 現実に引き寄せて考えるのも大概にせえよという話なんだけど、ここ数年だって鹿児島なり広島なり岡山なり日本中至るところで水害が発生していて、しかも都市部の治水なんてまさにこれから考えていかなきゃまずいイシューな訳でして。そういう中でこういうフィクションが出てくることは、たとえ言いがかりだと言われても、あまり好ましいことと思いたくはないのです。
 前作『君の名は』での災害は隕石でした。隕石が落ちてくることによる影響を私達はよく知らないし、落ちてくる軌道のおかしさはあるにせよ、その結果、隕石が落ちた被害の描写がおかしいものには、少なくとも素人が見て強い違和感を覚えるほどのものにはならなかった。

 水害という意味では、長い間連続で雨が降り続いている時点で、かなり危険な状況にあるはずです。その状態から、歴史に残る大雨が降ったならば、翌日晴れたからといって、都市がある程度機能できる、なんて状態にはならないでしょう。
 たとえば。
 半地下の事務所は窓を開けるまでもなく水没して住人は溺れている。
 街中あちこち水浸しで、おそらくは電気水道ガス電話インターネットもダメージを受けているであろう状況に、警察が手配中の少年一人のことなんて気にしている余裕があるのか。
 浸水したあとの衛生確保や伝染病のことを考えるとつらい。
 三年後のことについてもそう。
 海水と水流にさらされた鉄筋コンクリート建築がどれだけ原型をとどめていられるのか。
 水没した街の上を水路にするのは水深上難しいのではないか。
 水上バスを走らせて行く場所はあるのか。  物語の終盤、おばあちゃんの家に行くシーンについても、自治体のハザードマップを調べると適切なチョイスでないように感じてしまう。些細なことといえばその通りなんだけど、「二百年前は〜」という会話をしているその場所ってまさに水田地帯、過去荒川が荒ぶっていた場所じゃないの? 言ってることと描写がちぐはぐではないか?

 そもそも私は、水浸しの街をモチーフにした作品を、数年前からあまり素直に見られないところがある。なぜなら、実際に起こりうるのは、リゾートのビーチのような澄んだ水ではなく、茶色い濁流だって、もうみんな知っているわけじゃないですか。

 この作品は、任意の悪いことがあっても大丈夫だよという、底抜けの希望の話だと思っています。その一方で、使ったモチーフが大雨や浸水などの水害というなまじ現実的なものだったために、肝心の希望の方に説得力を感じなくなってしまう。物語の想定における現実離れした楽観性、都合のいい恣意的な希望の描写から、これは空手形だと、感じてしまう。

 ポリティカルコレクトネスにはいろいろな形があると思うけど、私にとって『天気の子』においてあるべきだった正しさとは「描くことを選んだならば、現実に即した水害の被害を描写する」ことだと思いました。もちろん描かないことでPTSDを回避するという選択肢もあるだろうけど、基底現実の被害者の方々が見て、現実離れした形になっていない描写をすることが、彼等にとって腑に落ちる作品になるのではと……いや、被害者の声を想像で勝手に代弁するのはよくないですね。このくだりは無しにします。

 あるいは。この作品の天秤で、陽菜さんの反対側に載せられたのが「セカイ」じゃないよねという不満なのかもしれない。ひとりの少女のために「セカイ」をトレードオフしたにもかかわらず、後味のいい話になっている。それは何故かというと、物事がただしくトレードオフになっていないから。フロンティアが拡大していたら、そりゃあWin-Winにもなるだろう。天秤でただしくはかられていない。あれでは全然なにも失われていない。失われるべきであろうものを正しく評価できていない。もちろんこの作品は「セカイ系」なんかじゃないから、トレードオフはそもそも成立しない、という答えもあるけど。

 なんか乱雑に書いてしまった。この記事の内容は、「これはそういう作品じゃないし、そういう観点でコアバリューにケチがつく作品でもない」という主張は大いにありだと思います。が、少なくとも私にとっては「あまり評価できない」の範疇にまで至ってしまっている。こういう自分の中で折り合いをつけるのが難しい作品って、なかなかしんどいです。特に、周囲の評価が好意的なときには。

 最後に。この作品って『君の名は』と明確につながっていて、かつ、東京が晴れることはもうないので、その結末を壊すものになっていると思うんですが、大オチをつけるような第三作が現れたりするのでしょうか。