不可解なすべて

いわゆる百合、ガールズラブ作品が好きだ。『百合姫』も『まんがタイム』系列も定期購読してないし、百合漫画全部買うもしてない。でも好き。最近の良かったは『ガラスの靴を脱ぎ捨てて』と『ささやくように恋を唄う』で、良くなかったことは明らかに最高だった『ふりだしにおちる!』がわずか2巻にて完結してしまったことです。人はなぜ――

さて、そんな私もその手のジャンルの作品を書いてみたいなと思うこと幾星霜。問題にぶち当たったので、ここに書いて整理してみる。

Disclaimer: 以下の記述はあくまでフィクショナルな自作の人間関係描写に関する話です。現実の人間関係に適用しうるものではありません。

親密な二人の女性同士の関係を描写する際、というか具体的に言うとなろうとカクヨムに載せてる“The Pulse of Your Heart”の話だけど、この話を進めようとした時に、肉体関係のある、いわゆる同性愛の文脈に落とし込んでしまいそうになる。 いや、肉体関係のある同性愛の文脈に落とし込むことそれ自体は全く悪いことではない。あるまんがシリーズ(ネタバレのため名前を挙げません)がそうなった上で続刊が出ているのは感慨深い。しょせん私は途中から追いかけ始めた身分ですが――。

閑話休題。 つまり何がいいたいかというと、百合にカテゴライズされる話を描こうとした際、友情の領域に留めるのか、それとも肉体関係まで進めてしまうのかと悩んでしまうのは、その中間や曖昧性のある状態を許さず、人間関係をわかりやすいテンプレートに落とし込もうという作者の怠惰なのではないか、という話。 よく男女間の人間関係を描く作品であっても、「ふたりの関係に勝手に名前を付けるな、型にあてはめるな」という主張がなされることがある。 キャラクターを物語上のテンプレートに沿って動かせばいいというものではない。はい。 それはその通りで、二人(あるいはそれ以上)間の関係性は、それぞれに固有であって、なんらかのカテゴライズをするべきではない。 でも、友情にとどめれば私は同性愛に否定的なのかという気がしてくるし、セクシャルインターコースを持たせればゴシップ的というか、俗っぽいというか、まるでカミングアウトを強要しているようにも感じられてくる。 ということで、この話の続きを書くにはふたりの関係性がどのようなものであるべきなのかをしっかりと検討しなければならないし、そのためにはちゃんとキャラクターへの理解を深めるところからはじめなければならない。ということで、行き詰まっています。 私は、自作のことについて何もわかっていないし、(『天気の子』エントリで言っていたように)自分や読者を納得させられるだけの妥当性を想像/創造しなければならないんだよなあ。

あ、地図街が書き進められないのは単純に私の責任です――。