Traffic Kingdom

Motorcycle

自動車の運転を不安がっていると、じゃあ自動二輪に乗ればよいのでは!? というアドバイスを受けることがある。 自動二輪免許持ってない人間に勧めることじゃないでしょって思うけど、考えてみるときはある。 本質的に、二輪車とは恐ろしい乗り物である。事故を起こした時に一発で死ぬのであればまだいい気がするけど、重い後遺症を残す場合が多く、その上四輪車よりも事故を起こす率が高い。 それでも一発で棄却してしまえないほどには非ライダーの視点からであっても魅力がある。たとえば、目の前をTriumph Tiger 800が通過した際のサウンドは心を揺さぶるものだ。

さて、自分が二輪車に求める要件を定義するとしたらどのようなものになるか、ということを考える。

  • メカノイズがする
  • マフラーの音は全然興味がない
  • フラットダートは走れるくらいのスタイルがかっこいい(走るとは言ってない)
  • 2気筒程度の水冷エンジン
  • 250cc〜600ccクラス? (二輪免許もってなし)
  • フルカウルじゃないやつ
  • 背が高くない、足つき性がよい
  • 高速道路含め長距離をクルーズできる性格
  • 神経質でない操縦性

この条件で検索すると、スズキのV-Strom 250がヒットした。オフロードはあんま走れなさそうだけど、私がオフロードを走るとも思えないので、これがいいのでは? という気がする。

繰り返しになるが、私は自動二輪免許を持っていない――

Bicycle

話をすっ飛ばして自転車の話。 私の身の回りにも自転車にはブロンプトンを勧める一派というのが存在する。 ブロンプトンというのは高級な折りたたみ自転車だ。イギリス生まれ。スポーツ指向というよりはコンフォートなイメージ。折りたたんだ際のサイズが小さい、リアキャリアにローラが付いているので折りたたみ状態でも転がして運べる、などの利点がある。

買うとしたらM3Lだけど、定価で210,000円(税別)する。高い。 個人的に気になるのは、パーツが一般的なものではないことと、ホイールがクイックリリースでないこと。 パーツは汎用的で互換性があった方がいいと思うし、ホイールがクイックリリースでないとパンク修理が難しい。

とはいえ、買った人が後悔していないところを見ると、相応の良さがあることが予想される。 実際のところどうなんでしょうね。

Risk Benefit Balance

もし悩みの種を抱えているならば、ウィリス・H・キャリアの公式を使って、三つのことをやってみるべきだ。

  1. 「起こり得る最悪の事態とは何か」と自問すること。
  2. やむをえない場合には、最悪の事態を受け入れる覚悟をすること。
  3. それから落ち着いて最悪状態を好転させるよう努力すること。

デール・カーネギー. 道は開ける 新装版. 創元社, 1999.

前提:大人は、自分の置かれている状況コストとベネフィット、そしてリスクを自覚し、ハザードの責任を負う覚悟をした上で行動する、主体的な存在でなければならない。

ベネフィットを得るためには、必ずリスクを負わなければならない。つまり、ある選択をするときに人は それがほんとうにお前の利益となる保証はあるのか ということを問われている。あるいは、問わなければならない。

自動車の運転を例に挙げよう。

交通事故って多くの場合は偶然とか、ふとした気の緩み、油断によって生じるわけで、その発生頻度を下げる方法なんてないのではないか、と思う。 であれば、リスクを低減する方法など存在せず、故にどれだけのベネフィットを運転に見いだせるのかという一点に、判断基準は帰着する。

例えば生活に必要な環境にある人間にとっては、事故のリスクを生存のベネフィットが上回るだろう。これはよい。 では、私が該当するであろう、娯楽の為だけに運転者にならんとする者はどうだろうか。自らの享楽のためだけに運転するベネフィットは、人を殺し、傷付け、自分や誰かの人生を台無しにするリスクを上回るものなのだろうか。 そうだ、と言いきれるから、世の運転者は運転することを選んでいる。

では、私はどうか。 心の底から、それだけのベネフィットがあると、ハザードの責任を負う覚悟があると、自分のスキルは十分リスクを低下させられるのか。 未だに確信を持てない。 なら諦めればいいじゃないかという話に当然なるんだけど、それを諦めることすらできない。自動車に乗ることに対する憧れを捨てることができない。要するに馬鹿なんですね私は。 要するに、やっぱり私は口先だけの人間で、したいしたいと言っていることは本当にしたいことじゃなくて、自分自身に対する認知さえ歪んでいる、何もかもが嘘っぱちのフェイク野郎なのだという結論を再確認するだけなのですが……。

人生は連続的な選択によって構成されている。私は人生を生きることができているのか。世の中の主体的に人生を生きている大人の人びとは凄いのだ。